小学校教員を精神的に限界で辞めた20代女性の話|退職代行を選んだ理由【モデルケース】
📋 この記事のモデルケース
| 業種 | 教員(小学校)・正規教員 |
|---|---|
| 雇用形態 | 正規採用(公立小学校) |
| 年代・性別 | 20代後半・女性 |
| 勤続年数 | 3年 |
| 主な悩み | 持ち帰り仕事・保護者対応・精神的に追い詰められた |
| 退職方法 | 退職代行(弁護士法人)を利用 |
目次
小学校教員として働いていたころの状況
私は20代後半で、公立の小学校に正規教員として採用されました。教員を目指したのは、小学生のときに担任の先生に救われた経験があったからです。家庭の事情で不安定な時期があって、そのとき「学校だけが安心できる場所だった」という記憶が強く残っていました。自分もそういう存在になりたいと思っていました。
採用されたときは、本当に嬉しかったです。教員採用試験は2回目でようやく通りました。やっと夢が叶ったと思いました。
でも、働き始めてすぐに気づきました。理想と現実の差が、想像以上に大きかったことに。
1年目の担任は3年生のクラスでした。授業の準備だけで毎日数時間かかりました。授業が終わったあとも、連絡帳の確認、学級通信の作成、保護者へのメール返信、翌日の教材準備、会議の資料、生徒指導の記録——終わりのない仕事が積み重なっていきました。
学校に残って仕事をしても終わらないので、自宅に持ち帰るのが当然になっていきました。夕食を食べながらノートを丸つけし、入浴後に翌日のプリントを印刷する。深夜に授業の板書計画を立てる。そういう生活が3年間続きました。
限界を感じた瞬間
2年目から、保護者対応が激しくなりました。担任するクラスの保護者から、ほぼ毎週のように連絡帳やメールでクレームが届くようになりました。
内容はさまざまでした。「うちの子が給食の量で不満を持っている」「席替えの基準を説明してほしい」「〇〇さんがうちの子に何か言ったらしいが、先生はどう対応したのか」——一つひとつは小さなことでも、それが毎週来るのは別の話でした。
管理職に相談すると「保護者の気持ちに寄り添って」と言われました。寄り添っているから毎晩返信しているのに、と思いましたが、声に出せませんでした。先輩の先生方も似たような状況で、みんながギリギリの状態で働いていました。
3年目の春、私は体調を崩しました。朝起き上がれない日が増えました。学校に向かう道で動悸がするようになりました。心療内科に行くと「適応障害の傾向がある」と言われました。でも、年度途中に担任が休むことへの罪悪感から、休職という選択肢を自分で切り捨てていました。
そのまま半年以上、薬を飲みながら出勤し続けました。子どもたちの顔を見ると「辞めてはいけない」と思うのに、職員室に入ると「もう無理だ」と思う。その繰り返しでした。
🔍 あなたも同じ状況ですか?
退職代行を知ったきっかけ・迷った理由
退職代行を検索したのは、11月の深夜でした。「教員 退職 年度途中 言い方」「教員 辞めたい 伝えられない」などと調べているうちに、退職代行というサービスにたどり着きました。
最初は「自分には使えないもの」だと思いました。公務員でも使えるのか分からなかったし、年度途中に辞めることへの罪悪感もありました。子どもたちはどうなるのか。保護者はどう思うか。後任の先生に迷惑をかけるのではないか。そういう考えが頭をぐるぐるしていました。
でも同時に、「このまま続けていたら、もっと大きな形で崩れる」とも感じていました。授業中に頭が真っ白になることが増えていました。子どもの言葉に過剰に反応して、トイレで泣くことも増えていました。自分が先生として機能できているかどうか、自信がなくなっていました。
退職代行について調べていくうちに、公務員教員には適用できない部分もあることが分かりました。ただ、弁護士法人が対応するサービスの中には、教員の退職相談に乗ってきた実績があるところもあり、自分の状況を正直に話してみることにしました。
- 適応障害の診断を受けていること
- 管理職への退職の申し出が怖いこと
- 年度途中での退職になること
- 引き止めが強い場合の対応が不安なこと
これらをすべて伝えたうえで、対応可能かどうかを確認しました。
実際に依頼してみた流れ(相談〜退職完了)
相談の翌日、正式に依頼しました。その日は出勤しませんでした。代わりに、弁護士法人が対応する退職代行の担当者から学校側へ連絡が入りました。
午前中のうちに、学校側との一次連絡が完了したと報告を受けました。管理職から私に直接連絡しないよう伝えてもらったため、校長からも担任の先生からも、私への直接の電話はありませんでした。
手続きとして対応したのは、校章入りの書類や教材、鍵などの返却です。郵送での対応が認められたため、直接学校に行くことなく返すことができました。給与や有給の扱いについても、担当者を通じて確認が取れました。
退職の正式完了まで数日かかりましたが、その間も管理職や保護者から直接連絡が来ることはありませんでした。自分で何度も説明しなければならないと思っていたやり取りが、第三者を通して静かに進んでいきました。

辞めた後の変化
退職後、最初の2週間はほとんど布団の中にいました。心療内科の先生からも「まずは何もしないでいい時期」と言われていたので、そのとおりにしました。
不思議だったのは、罪悪感がなかったわけではないのに、体が楽になっていったことです。朝の動悸がなくなっていきました。夜、持ち帰りの仕事を気にせずに眠れるようになりました。あれだけ毎日考えていた保護者からのメールのことを、考えなくていい朝が来ました。
子どもたちのことは、今でも気になります。後任の先生に引き継いでもらえているか、クラスが安定しているか。でも、それは私ではなく学校が担うべきことだったのだとも思うようになりました。私が一人で抱えていたことの多くは、そもそも一人で抱えるものではなかった。
今は、教員以外の仕事をしています。子どもに関わる仕事への思いはまだあります。でも、今はまず自分が健康でいることを優先しています。いつかまた、別の形で子どもたちに関われる日が来るかもしれないという気持ちを、今は静かに持っています。
同じ状況の人へ伝えたいこと
教員という仕事は、「使命感」で成り立っている部分があります。子どもたちのために、保護者のために、学校のために——そういう気持ちが強いほど、辞めることに強い罪悪感を感じます。私もそうでした。
でも、心療内科で診断を受けるほど追い詰められているなら、一度立ち止まっていいと思います。体と心が壊れてからでは、戻るのにもっと時間がかかります。
「管理職に言えない」「引き止められそうで怖い」「年度途中だから」——そういう理由で動けない人が、教員には多いと思います。でも、弁護士法人が対応する退職代行を使えば、自分が直接説明しなくても手続きを進めることができます。
辞めることは、子どもたちを見捨てることではありません。自分が安全でいるために選択することです。私は退職代行を使って辞めたことを、後悔していません。あのとき動いていなければ、もっと壊れていたと思うから。





コメントを残す